新潟のふたつの蒸溜所が”地域に根差したウイスキーづくり”を語る~第14回 CELLARR SALONを終えて(前編/全2編)~

今回は、8月19日に開催された第14回CELLARR SALONのレポート記事を全2編にてお届けいたします。

第14回のテーマは、「新潟ブレンデッドの実現へ 地域に根差したウイスキーづくり」。

新潟ブレンデッドの実現を視野に、さまざまな取組にチャレンジしている、新潟の二つのクラフト蒸溜所の社長をゲストにお迎えしました。日々感じるウイスキーづくりの楽しさから、チャレンジ精神旺盛が故の苦悩まで、オープンにお話をしていただきました。

ご参加が叶わなかった皆様にも、レポート記事から、SALONの雰囲気を感じていただければ幸いです。

ウイスキーそのものやウイスキーにまつわるストーリーが好きな方々が集い、ここでしか聞けない話を愉しむウイスキーのオンライン社交場 CELLARR SALON。本日もお愉しみください。

今回のゲスト

新潟亀田蒸溜所 取締役社長
堂田 浩之 氏(以下敬称略)

経歴

地元、北海道の大学在学中に、ニッカウヰスキー余市蒸溜所を訪問し、ウイスキーの魅力に惹かれてゆく。ウイスキーに関わる仕事をしたいと思ったが、バブル崩壊後でさらに、ウイスキー冬の時代に直面し、その道を断念する。東京の商社に就職後、外資系製薬会社に在籍する。約20年間のサラリーマン生活を経て、株式会社大谷に入社。同社の新規事業として、ウイスキー製造事業を立ち上げ、現在に至る。

吉田電材蒸留所 代表取締役社長
松本 匡史 氏(以下敬称略)

経歴

明治大学農学部時代はワインや味噌を実習でつくるなど、農学部の王道を行く。同大学院では植物の葉面電位の研究に従事し、卒業後はキユーピー株式会社でマヨネーズ工場の管理と製造に携わる。その後、家業を継ぐことを念頭に、電子部品メーカー「アルプス電気株式会社」に転職、経営コンサルタント会社IPトレーディングジャパンに出向し、約6年間、知的財産を活用した経営コンサルタントとして業務に従事。2007年に祖父が創業した吉田電材工業を継ぐために戻る。また、そのころからウイスキーが趣味になり、2021年にウイスキープロフェッショナル(※1)、2023年にウイスキーレクチャラー(※2)資格を取得。(※1,2 ウイスキー文化研究所が運営するコニサー資格のこと)

|はじめに・各蒸溜所の背景

ーーー皆さん、こんばんは。それでは第14回CELARR SALONをスタートさせていきたいと思います。本日も皆様の期待に沿えるお時間をつくれたらと思っております。よろしくお願いします。


まずは、本日ご登壇のゲストのご紹介です。サービス精神旺盛な、新潟亀田蒸溜所の堂田社長と吉田電材蒸留所の松本社長です。松本社長、堂田社長の順番で自己紹介をよろしくお願いします。

皆さん、こんばんは。吉田電材蒸留所の松本でございます。堂田さんとは、普段から飲みながらウイスキー談義をしているのですが、今日はその輪を広げて行うということで大変楽しみにしております。どうぞよろしくお願いします。

ーーーありがとうございます。続きまして、堂田社長、よろしくお願いします。

新潟亀田蒸溜所の堂田でございます。おかげ様で創業から2年と5か月を迎えております。3年まであと7か月ということで、もう少ししたら、皆さんに飲んでいただけるウイスキーが増えるのかなと思っています。よろしくお願いします。

ーーー嬉しいですね。ウイスキーが好きという気持ちをベースに”勝負しにいっている”蒸溜所さんです。共通点は「新潟」という場所です。社長お二人はですね、実は新潟に古くからご縁があるわけではないようです。堂田社長は北海道のご出身で、松本社長は東京のご出身というお二人でございます。そんな二人はご縁のあった新潟をどう盛り上げていこうかみたいなことを日夜考えておられるということです。


昔からの酒蔵さんが新規でウイスキーをつくる、というようなところは結構多いのですが、 お二方の会社の資本を出している拠出元は酒類関係の会社ではありません。


吉田電材さんは吉田電材さん。設備等をつくっておられる会社の新規事業です。
堂田社長の方は「はんこの大谷」といって、日本ナンバーワンのはんこシェアを持っている会社がカーブアウトした新規事業です。


まずは、お二方の経歴・それぞれの蒸溜所の特徴から、歴史を振り返っていこうと思います。改めて、なぜ始めようと思ったか。きっかけとハウスポリシー、どんなウイスキーをつくっていきたいかという質問からスタートさせてください。


堂田社長からよろしくお願いします。

よろしくお願いいたします。
当蒸溜所は、2021年の2月から蒸留を始めております。

最初は英国産の麦を中心に製造しておりましたが、 現在一番力を入れているのは、ローカルバーレイです。新潟県産麦を使うことを第一義的に考えてやっております。

ゆきはな六条という六条大麦を使っていて、初年度は4トンほどの収穫をさせていただきました。昨年は23トン、今年は30トン、そして来年は70トンぐらいの麦を使ってウイスキーを製造しようとしています。おそらく、70トンくらいになると結構多いほうだと思います。

それを自社の製麦機を使って製麦して、一気通貫で最後は製品にまでするというのが当社の特徴になってくると思っております。

ーーー3年もののリリースも目の前に来ている時期ですね。はんこの大谷さんの資本を活用しながら新規事業に参入する、そのハードルをどのように超えられてきたのか気になりますね。
また、自社で製麦するということで、製麦に関する設備投資もされているのですね。そのパッションの原点となるような話も、お聞きしたいなと思いました。

そうですね。
最初のハードルは、やはり自分自身の倫理観というか…。うまく言えないのですが、はんこ屋さんをやっているわけですから「自分がウイスキーが好きだからと言って、会社のお金を使って酒をつくっていいのか」「会社を私物化していることになるのではないか」…そういう心の葛藤みたいなものがすごくありました。最初は自分との戦いだったかもしれません。

新潟にもいろいろな創業者がいらっしゃいますが、その中でSnow Peakの山井さんという方がいらっしゃいます。山井さんとお話した際に「好きだからこそ突き詰められるわけだから、やってみる価値はあるんじゃないか」というようなことを言っていただきました。Snow Peakさんは元々金物屋だったのですが、山井さんご自身が山遊びが好きでSnow Peakという会社をつくられたのです。こうして山井さんとお話したことで、自分の心の中はすっきりしたかなと思っています。

その後は 会社を説得するのが一番大変だったのですが、夫婦で相談をしながら会長を地道に説得してなんとか形にしていきました。

そうしてつくり始めると、設備も含めてやはり分からないことだらけで非常に苦労しました。でもウイスキーが好きだったので、なんとか乗り越えられたのかなと思います。

ーーー ありがとうございます。CELLARR編集部も蒸溜所の見学をさせて頂いておりますが、堂田社長は、ウイスキーづくりにおいてあらゆるパターンを試されていますよね。皆様も、新潟亀田蒸溜所の堂田さんのストーリー、楽しんでいってください。では続いて、松本社長よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

ウイスキーの蒸溜所を始めたきっかけ…ですね。15年ぐらい前からウイスキーが好きで飲んでいたのですが、まさか自分でウイスキーの蒸溜所をやるなんてことは全く思っていなかったです。

本業のほうでは、産業機器の設計・製作をしている会社を二つ経営しています。東京のほうの会社では、レントゲンの機械等をつくっています。新潟の方では、ちょっとした机ぐらいの大きさの変圧器をつくっています。単位で言うと100kVA~500kVAまでの油入り変圧器ですね。これを大手のメーカーさんの完全外注工場として、今、このクラスでは日本のシェアの40%ぐらいを弊社でつくらせていただいています。あと、東京電力と東北電力管轄のポールトランスは、ほぼ100%うちの絶縁物が部品としてはいっています。

今ウイスキーの蒸溜所になっている工場は、そのトランスの事業を拡張するために買った工場だったのです。それが、工場を買ってしばらくしてコロナ禍になり、買ったばかりの工場が稼働していないという状況になりました。あの頃はコロナ禍がいつ終わるのか、出口も見えませんでしたので「この工場をなんとか活用できないか」と考えていました。そんな時『はんこの大谷 ウイスキーつくる』ということで、堂田さんの会社がネットニュースに出ていたのを思い出したのです。

その時に、堂田さんが「投資額は1億円」と言っていたんですね。今はもう、1億円じゃ全然できないということは身に染みて二人で感じているんですけれども(笑)。私はその記事を鵜呑みにして「1億円なら、うちでもできるな」ということで、本格的にウイスキーの事業ができるかどうか検討に入りました。これが、2019年ぐらいの出来事です。

その後に「後発で参入するのだから、何か特徴を持ったことをしなければならないな」ということで、私がよく行っている、銀座のBar Sherlockのマスター・吉本さんに「ウイスキーつくりたいんだけど、どんなウイスキーをつくろうかな。迷っているんだよ。」と相談をしました。そうすると「松本さん、バーボンをつくっている人はいないから、バーボンをつくったらどうですか」というような提案をいただき、 酔っ払いながら「あ、それはいいな!」なんて話をしていたのです。

しかし、バーボンって、当然日本では「バーボン」と言えない。すなわち「グレーンウイスキー」になります

グレーンウイスキーとなると、やはりブレンデットの相方としてのニュートラルスピリッツに近いもの・大量生産のもの・モルトをスポイルするようなもの…。実際は決してそんなことないのですが、こういったマイナスイメージがあるし、単価も安いので、グレーンウイスキーづくりに関して周りの人にはかなり止められました。

普通に流通しているブレンデッド用のグレーンの単価だと、全く蒸溜所経営としては成り立たない。それなら、うちはグレーンウイスキーだけれども、いわゆるブレンデッドウイスキーに使われるような大量生産でサイレントな単価の安いものじゃなく、個性的なウイスキーを目指していこうということで、グレーン専業をあえて掲げてやっています

そういった中で、弊社には三つのミッションがあります。

ひとつは「いろいろな穀物をウイスキーにすることで、ジャパニーズウイスキーの幅を広げる」ということ。ただ単価が安いからトウモロコシを使うとかではなくて、いろいろな穀物でウイスキーをつくってみる。その中で生き残ったものが、ジャパニーズウイスキーの一片を形づくってくれればいいなと思っています。

ふたつめのミッションは「国産のグレーン原酒を提供する」ということです。2021年にジャパニーズウイスキーの定義ができた中で、国産グレーン原酒をモルト蒸溜所さんに提供するという役割もあると考えています。ちょっと癖の強いグレーンをブレンドしたいという時に使ってもらえればと思っています。

最後は「原料から国産」というミッションです。いわゆる「グレーンウイスキー」を選択したおかげで、原料の自由度は広いです。今やっているレシピでは原料の70%が北海道のコーン、あとの30%に関しては、15%がモルトで残りの15%がライモルトというのがベースです。さらに、この15%のライモルトも国産のハダカ麦に変えようということで、今農家さんと調整しています。
つまり、現時点で、定常的に85%の国産原料でグレーンウイスキーをつくる見通しができつつあるということです。あと、モルトに関しては、堂田さんのところのゆきはな六条を作っていますが、当社では中標津モルティングさんから買ったモルトで、オール100%バッチも一応やりました。そんな形で、グレーンだからこそ100%国産が実現できる部分があります。

これら三つのミッションを掲げることで「グレーンウイスキーのネガティブイメージをひっくり返したい」「グレーンウイスキーをリブランディングしたい」と頑張っているのが、私たちの蒸溜所の特徴です。

ーーー ありがとうございます。 ちなみに、ウイスキーのハウスポリシーのようなものは、各蒸溜所定めておられるのでしょうか。

うちの場合は、僕のやりたいようにやっているのでつくれていないです。これからつくらなきゃいけないところですかね。

強いて言えば「手間と暇をかける」。そこに尽きるかな、とは思います。

ーーー堂田さんの好きなウイスキーって、やはりボディ感もあるものですか。

そうですね。後味の余韻の長さ、ここは一番大切にしているところですね。

ーーー 皆さん、BARで新潟亀田蒸溜所のウイスキーに出会うこともあると思いますが「余韻のところを意識しているウイスキーづくりなんだな」と思いながら楽しんでみてください。


松本社長はいかがですか。現時点で可能な範囲で、お話いただけるとうれしく思います。

基本的には、先ほどのミッションにもあったように「いろいろなものを試していくこと」です。かつ、バーボンの発想からスタートしていますが、日本ではバーボンと言えないのでバーボンのレギュレーションにとらわれる必要はないんですよね。

例えば、 バーボンの場合「コーンが51%以上」というレギュレーションがありますけれども、うちの場合はコーンが40%でも別にいいのです。熟成に関しても、基本的には全部新樽でやっていますが、別に新樽での熟成にこだわらなくてもいいのです。

とにかく、バーボンはグレーンウイスキーのone of themというような捉え方で、今まで誰もやってないような原料、誰もやってない配合・熟成、そういったものをいろいろ試しています。

ーーーありがとうございます。ここで、新潟という場所における二つの蒸溜所の位置関係を確認しておきたいと思います。まずは新潟亀田蒸溜所さん。東京から2時間ほどで行ける場所にあります。米どころ新潟ということで、近くには亀田製菓さんがあります。あと、水がいいという文脈では日本酒も有名ですね。

うちの一番近くだと、越乃寒梅さんが一番近いですね。

ーーー越乃寒梅の水と一緒のウイスキーですね。

そうですね。

ーーー面白いですね。ありがとうございます。一方、吉田電材さんはちょっと北上したところですね。

蒸溜所は村上市にあります。本業のほうは胎内市にあるのですが、本業の工場と村上の蒸溜所の間は、車で15分ほどの距離です。

ーーー両方とも市の境に近いのですね。 新潟市を盛り上げるのが新潟亀田蒸溜所さん、村上市・胎内市を盛り上げるのが吉田電材さんということですね。新潟バーレイの話がこの後出てくると思いますので、地理関係も何かのご参考になればと思いましてご紹介しました。

|ウイスキーをはじめるにあたってのハードル

ーーーでは、お二人のお人柄もなんとなく伝わってきたところで、ご参加者様からも少しずつご質問をいただきたいと思います。

他のビジネスもされている方、あるいはそういった経験がある方が、新たにウイスキーに参入されるのは素晴らしいことですね。

しかし、先ほどのお金の話も含めてハードルがたくさんあると思います。

ウイスキー蒸溜所を始める時、どの蒸溜所も共通して乗り越えなければならないであろうハードルがあればお聞きしたいです。

そうですね。

「ヒト・モノ・カネ」というところで言うと、やはり「つくり手の人」と「お金」ですよね。ありきたりな答えになってしまいますが、それが共通して一番初めのハードルになりそうな気がします。

ーーー松本さんも、結構人探しはめちゃくちゃ苦労されたのではないですか?

うちの場合、タイミングがよくて比較的うまく進みました。
私がウイスキー好きで活動する中でたまたまご縁があって、うちに来ていただいた方もいます。だから、本当にラッキーでしたね。

ーーーありがとうございます。人とのご縁のお話し、美しいですね!堂田さんも是非お願いいたします。

そうですね…私もやはり苦労したのは「ヒト」の部分ですね。

誰もついて来る人がいなかったので(笑)、どうしようって考えていたのです。小心者なので、お酒を作った経験者を募集していても「社員雇用して、研修に行ってもらって、じゃあ蒸溜所を始めますという時に、やっぱり辞めますって言われたら困っちゃうな」と思ってしまいました。

だから「自分でつくりたいな」と思って、1ヶ月ほど津貫蒸溜所で研修を受けさせていただきました。本当にそれが今の自分のつくりの”基本” ”ベース”になっています。すごくありがたかったです。

ーーーまたこれも、美しい話ですね。今お話に出てきました、マルス津貫蒸溜所の草野さんも、今日お越しいただいております。草野さん、今のお話を聞いていかがですか。

堂田さんが来られている期間はとても楽しい時間でした。

津貫のスタッフもみんな堂田さんが好きで、「堂田さん、また来ないかな」と楽しい時間を思い出しています。

ーーー素敵な関係性ですね。「草野さんのつくりたい世界」と「堂田さんのつくりたい世界」の間に、何かバイブスみたいなものもあるのかなと、なんとなく感じます。


前編記事はここまで。

後編記事では・・・
新潟の地で行われている、あらゆる”新しい取組”についてのお話をたっぷりお届け。

ぜひ後編もご覧ください。

後編記事は、会員限定公開となっておりログインが必要です。
無料のフリー会員登録でご覧いただけますので、登録がまだの方はぜひご登録をお願いします。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。