月に1回、ウイスキーそのものやウイスキーにまつわる話しが好きな方々が集い、ここでしか聞けない話を愉しむウイスキーのオンライン社交場 CELLARR SALON。本記事では、第10回を迎えた本イベントのレポート記事を全2編にてお届けいたします。
本日はこれまで日本ウイスキー界を牽引してきたお二方をゲストに迎え、これまでのジャパニーズウイスキーを振り返りながら、これからのジャパニーズウイスキーの未来を語っていきます。
本日のゲストはサントリーにてチーフブレンダーを務めていらっしゃいました、輿水精一さんとニッカにてチーフブレンダーを務めていらっしゃいました佐久間正さんです。サントリーとニッカはこれまでのジャパニーズウイスキー産業を牽引してきた企業です。そんな企業でチーフブレンダーとして活躍されてきたお二方の貴重な対談をお愉しみ頂ければ幸いです。
それではレポート記事から、今回のイベントの雰囲気をお愉しみください。
|本日のゲスト
CELLARR アドバイザー|サントリー(株)名誉チーフブレンダー
輿水 精一 氏
元・ニッカウヰスキー(株) チーフブレンダー
佐久間 正 氏
|ゲストトーク
ーーそれでは本日もよろしくお願いいたします。本日はこれまでのジャパニーズウイスキー業界を振り返りながら、これからの100年という未来を想像しながらお話していければと思います。それでは佐久間さんから簡単な自己紹介をお願いいたします。
私は元ニッカウヰスキーでチーフブレンダーをしておりました。1982年入社で昨年までの計40年間勤めておりました。工場や原料調達、海外赴任を経て50歳でブレンダーになったというキャリアです。そのためかなり遅くにブレンダーになったということですね。そういった背景でブレンダー室に10年ほど在籍しておりました。ニッカウヰスキーは2022年に退社して今はアサヒグループ内の別の会社に所属しています。本日はよろしくお願いいたします。
今年は山崎蒸溜所の建設が始まって100周年であり、会社としても色々企画を練っています。実は昨日も東京でお得意様に感謝する会等もあり、今年はそういったリアルでウイスキーファンの皆さんと会う機会も多いと思うので、その際はよろしくお願いいたします。
ーーありがとうございます。今年はコロナも明ける方向に向いているということもあり、おふたりともリアルでお会いする機会もあるかと思いますので、愉しみですね。
お二方とも既にウイスキーを片手に準備して頂いております(笑)。それでは早速ですが、まずはジャパニーズウイスキーの歴史についてお話していきます。ジャパンニーズウイスキーが売れていない時代から五大ウイスキーと呼ばれるまでの道のりや、なぜジャパニーズウイスキーが世界中でここまで評価されているのかという点についてお話して頂ければと思います。まずは輿水さんからお願いいたします。
サントリーはずいぶん前から五大ウイスキーという言い方をしていました。かつて1980年のオールドが売れていた時、日本は世界で第二位のウイスキー消費国でした。2000年代以降、様々なコンペティションで賞を取ったことで、今では名実ともに五大ウイスキーの評価を頂くことが出来たのだと思います。これはまさしく品質が評価されてきたからだと思っております。さまざまなウイスキー評論家が世界のウイスキーを語るときに、ジャパンニーズウイスキーは欠かせない存在となりました。
ーーありがとございます。それでは佐久間さんよろしくお願いいたします。
輿水さんがおっしゃっていたように、40年前はウイスキーをつくっている国がスコットランド、アイルランド、カナダ、アメリカ、日本ほどしかなくて。そういった意味で五大ウイスキーの一つの位置づけであったのだろうと思います。また時間が経つなかで品質的にも様々な賞を受賞してきました。それまでジャパニーズウイスキーはあまり輸出をされていなかったので品質に関して、海外の方はよく知らないという状態でした。ですが輸出が増え、賞を取ることで認知が広がり、より価値が高まったのだと思います。
ーーニュージーランドも美味しいと最近よく聞きます。世界五大ウイスキーについて理解が深まりました。先ほど佐久間さんが50代でチーフブレンダーになられたとおっしゃっていましたが、実は輿水さんもかなり遅くにブレンダーになられたことで有名ですよね。
そうですね。ブレンダーになったのは42歳の頃でかなり遅い方だと思います。ただその前の仕事でボトリング工場、研究所で9年間在籍して樽や熟成の研究、山崎の貯蔵熟成の仕事など、ブレンダーまでのキャリアは割と良かったのだと思います。
ーーブレンダーの中で研究畑なのか官能畑かがあるとは思いますが、輿水さんも佐久間さんも理系出身なので、面白いという好奇心をもった化学的な感性を駆使した研究畑の方ですよね。
ブレンダーはよく並外れた舌の持ち主だと思われるのですが、ごく普通の味覚嗅覚などの感覚があれば、あとはトレーニングでそれなりの仕事が出来るのだと思っております。
ーー海外の方が感じ取りにくい匂いがあると以前聞いたのですが、そのあたりはどうなのでしょうか。
感じ取りにくいというよりも、いい香りと感じるか否かに違いがあるのだと思います。
ーー先日もこの話に関して多くの若手の方が感銘を受けておりました。その意味では皆様も新しい香りを感じた時には言葉にしてみるといいかも知れません。それでは自分のキャリアとウイスキーの歴史に関して佐久間さんからよろしくお願いいたします。
私は入社して、まずは余市蒸溜所に配属されました。その当時はまだまだスコッチの品質に比べると改善すべき点があったので、品質を上げることに会社として注力している時期でした。スコットランドに社員を派遣したりして欠けている部分を必死に模索もしていました。
その中で様々なことに挑戦して、どうしたら美味しいモノが出来るのかの試行錯誤の5年間。その20年後、「シングルモルト余市 1987」が世界一をとりました。それを聞いたとき、自分たちが行っていたことが間違いでないことがわかって嬉しかったです。様々な研究を行いクオリティがあの5年で上がったからこそ、2000年代の賞を取れるようになったのだと思います。あとは原料調達のために海外にいることも多く、様々な蒸溜所への訪問も行っており、ウイスキーの知識はあったのですが、ブレンダーになると知ったときは自分自身かなり驚きました。
ブレンドに関しては、鼻が優れているなどはあとから身につくので必須ではないと思います。ただトレーニングは時間がかかります。僕の場合、2年間はなかなか上手く出来なくて、2年経ってようやく新商品開発のタイミングでブレンドすることが出来ました。2年間はとにかく試して、他のブレンダーとそれを共有しての繰り返しでした。だからこそ、官能能力ではなく繰り返しのトレーニングが大切なのだと思います。
ーー言葉と感覚のすりあわせだと思うのですが、トレーニングの方法はあったりしたのですか?
とにかく繰り返していくことが大切です。テイスティングして、コメントと感じたことをすり合わせていくことで、徐々に割合毎の香りの予測を行うことが出来るようになります。不思議なもので徐々にわかってくるものです。
ーー一日何パターンくらいやるものなのですか?
年ごとに変わってきます。最大一日100サンプルほどを試して、ブレンダー同士で共有し合って、コメントしあって。一ヶ月で何千と行いながら味を確かめていきます。一日では出来ないので、一ヶ月通して全てのテイスティングをしていきます。
ーーなるほど、なかなか聞く事が出来ないお話ですね。それでは輿水さんよろしくお願いいたします。
とにかく数をこなすしかないですね。私の場合だと大先輩のベテランブレンダーが2人いて、テイスティングの度にその先輩方がどう評価、表現するのか注目し、自分の評価とすり合わせていました。ブレンダーだけでなく、製造担当者は常に自分たちの仕事が狙い通りに行われたか必ずテイスティングで確認します。私もブレンダーになる以前、蒸溜所の貯蔵部門で仕事をしていた時は毎日テイスティングをして異常があるかないか確認していました。ですがブレンダーのテイスティングは製造担当者とは評価そのものが違います。そういった意味で、ブレンダーになってからブレンダーの評価を一から身につけていきました。
ーー先ほど佐久間さんは2年ほどいわゆる下積みのような時期があったとおっしゃっていましたが、輿水さんはどれくらいでしたか?
まあやはり少なくともそれくらいの時間はかかりますね。
ーーそうだったのですね。ブレンダーになりたい方は同じような物凄い努力をしたら慣れる可能性があるかもしれないのですね。
それではここまではおふたりのキャリアについて話して頂きましたが、おふたりとも全くウイスキーが売れなかった時代と比べて今はすごくブームになっていると実感されているのだと思います。その中で、いつまでこのブームが続くのか、そしてこれからの100年はどう変わっていくのか、そのために変えていくべきことなどあればお願いいたします。
ウイスキーは他のものづくりとは違って、5年10年前の原酒を元に今のお客様に向けて商品をつくっています。ここにひとつの難しさがあるのです。また、これまでは日本のウイスキーは殆どが国内市場向けにつくられてきました。そのため日本の市場の動向にすごく左右されてきました。
けれどこのウイスキーという産業は本来単一の市場で成立する産業ではないと思っています。今はやはり日本だけにとどめる必要はない。スコットランドなども大部分を輸出しています。マーケットを多様に確保しておくと、国内のウイスキー市場に大きく左右されません。グローバルにものづくりを行っていくことで品質も生産量も安定し、成長出来ると思います。その意味で、多くのクラフト蒸溜所の方は日本市場だけに依存しないで、最初から輸出も行っているのである意味では健全な姿なのだと思います。
ーー本当に売れなかった時代もありましたので、やはりグローバルにある市場をしっかり取りに行くこともすごく大切なのだと思います。それでは佐久間さんどうでしょうか?
全く同じ意見で、40年前は日本国内の市場しかありませんでした。その中で市場が縮小したために原酒生産も少なくせざるをえませんでした。今では海外でもジャパニーズウイスキーが飲まれていますので、ニッカはまだ20%くらいの輸出率ですが、半々くらいまで伸びればいいなと思っています。
今は原酒が足りないので時間はかかると思うのですが、我慢しながら徐々に伸ばしていくということになるのでしょう。あとはクラフトの方々はまだまだ長くて10年ほどかかると思うので我慢が大切です。お金の問題などももちろんあると思うのですが、しっかり古いお酒を残しておいて、20年30年ものも混ぜられるようになると深みが出てきます。そのため計画的に原酒を残して、我慢してつくるものがウイスキーです。とても難しいのですが、我慢比べが大切なのだと思います。
ーーちなみに参加者からもたくさんの質問をもらっているのですが、輿水さんの背景に飾ってある写真に写っている方はどなたですか?
私と推理作家の福井晴敏さんです。ウイスキーが売れなくて困っていたとき、ウイスキーの魅力を知っていただくために山崎蒸溜所に推理作家の皆さんに来ていただき、ブレンドをしてもらいました。その中から投票で一番出来栄えのよいものを選び、「謎」という名前で商品化していました。その時の福井さんとの写真です。
ーー自分が一番好きなシリーズですね。次の参加者からの質問です。
自分の好みではないけれども、市場で評価されるだろうな、というものがあるのかという質問が来ております。輿水さんどうでしょうか?
自分の好みはどちらかというとスモーキーなウイスキーです。そのためバーでの最初の一杯は大体ラフロイグのソーダ割りを飲んでおります。また白州12年もスモーキーなのでソーダ割りで飲むのが好きです。でも、サントリーのブレンデッドウイスキーにはスモーキーフレーバーが際立ったものはないことでお分かりのように、自分の好き嫌いで味をつくってはいないということですね。
個人的に好みなウイスキーについてお答えすると、色々なモノが好きです(笑)。シチュエーションによって違って、シェリーがいいときや、ピートが好きなとき、ものすごくウッディなモノがほしいときなどがありますよね。ですが味が濃いウイスキーはたくさん飲めないので普段はバランスのよいものを飲みます。そのためやはり使い分けですよね。バーでは特徴的なものを、自宅ではブレンデットでというように。
付け加えると、チーフブレンダーになった直後の『座』という商品化で大失敗がありまして。個性的な味わいを自分では完全に納得していないけれど、好きな人もいるのだろうということで商品化しました。結果的に、あまり市場ではウケず、終売になってしまいました。自分が本当に納得しないものは商品化してはいけないのだろう、とその経験をもって学びましたね。
ーーこの学びは他の事柄でも活かせそうですね。それではこれから100年後の話はどう思いますか?佐久間さんお願いいたします。
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前編はここまでです。おふたりのこれまでのキャリアと、これまでのジャパニーズウイスキーの歴史に関して、勉強になるお話ばかりでした。
後編ではこれまでのジャパニーズウイスキーを牽引してこられたおふたりが今後のウイスキー産業の未来をどのように予想するのか、お話して頂いた様子をレポートいたしますのでどうぞご覧ください。
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主に20代のウイスキーが大好きな若手で構成される編集部です。さまざまな蒸溜所、つくり手、ファンの方々との交流をもとに、これからのウイスキー業界を盛り上げる活動を続けていきます。Twitterも発信中。フォローは以下のアイコンをクリック!
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