ニッカウヰスキー顧問にインタビュー「原料部からチーフブレンダーへ。ノンピートの採用は独断だった!?」【前編/全2回】

はじめに

本日はニッカウヰスキー株式会社にて顧問・シニアチーフブレンダーを務める佐久間 正さんがニッカウヰスキーで原料担当としてノンピートモルトを初めて取り入れるに至った当時の経緯や竹鶴政孝から引き継がれる想いを、ウイスキーづくりを始めたての方、あるいは始めたいと思っている方への一言などさまざまなお話をして頂きました!

裏表なくすべての質問に対して快くお答えいただいた佐久間さんのインタビューをお楽しみください!

佐久間 正とは:  
1982年、ニッカウヰスキー株式会社 入社。生産部の欧州事務所所長や生産管理・原材料グループのリーダーを経て2010年に栃木工場長。12年からブレンダー室長チーフブレンダー。2020年3月に定年退職し、現在は顧問シニアチーフブレンダーとして、より美味しいウイスキーづくりに取り組む。

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1. 佐久間さんはいかにチーフブレンダーになったのか

ーー
本日は貴重なお時間をありがとうございます!早速ですが、佐久間さんの生い立ちからウイスキーとの出会いまでをお聞きしてもよろしいでしょうか?

佐久間さん(以下敬称略):
生い立ちといっても大したことないですよ…(笑)
生まれは東京なのですが、小さい頃から高校まで名古屋で育ちました。そこから大学は北海道大学の農学部農芸化学科(発酵などの研究を主とする学科)を卒業しました。

ウイスキーとの出会いは特に覚えていないんですよね(笑)

大学でお酒を飲み始めたタイミングがウイスキーとの出会いだと思います。当時はウイスキーへの強い想いなども特になく、大学の友人と飲む際にウイスキーを割と多く飲んでいた印象ぐらいでした。

ーー
それは意外ですね。佐久間さんは新卒でニッカウヰスキー株式会社へ入社されたのですか?

佐久間:
はい。当時の採用は学科や講座の教授の元に「誰か推薦してくれないか」という案内がきてそれを受けるという形だったんです。私の場合も、教授にニッカから推薦の依頼がきたから入社を志望した流れでした。
そこで私を含めた6人の学生が受けて、入社したのが私と現在社長を務める岸本でした。

ーー
それはすごい!生え抜きのお二人が新卒からニッカウヰスキーを支えてきたんですね。
名古屋からわざわざ北大に行こうと思ったのは、もともと農学系の勉強がお好きだったからですか?

佐久間:
そうですね。農学部とか生物学系に単純に興味があったことと、父親が若い頃に北海道の牧場で働いていた話をよく聞いていて「いいところだなあ」と思っていたこともあって、北大に行こうと決めました。

ーー
なるほど、親御さんの影響も大きかったのですね。ニッカに入社されてからはどのような業務をされていたんですか?

佐久間:
私の経歴で言うと、ニッカに入ってからは余市蒸溜所に5年間赴任しました。そのときにウイスキーの製造工程での新たなチャレンジや改善など、いろんなことに取り組みました。

全社的にも「もっともっとおいしいウイスキーづくりをしよう」という流れがあったので、それにずっと携わっていたんですね。

当時のニッカではワインもやろうという機運もあり、ぶどうの栽培の勉強のために北海道立農業試験場というところに1年弱ほどワインのためにぶどうの勉強もしました。

それから本社に配属になって8年ほど現在の原料部(当時は生産部原料課)に入り、主としては原料の調達や原酒の数量のコントロールといった業務をしていました。

そこからロンドンに駐在という流れですね。6年間。現在もニッカの子会社であるスコットランドのベン・ネヴィスという蒸溜所と、現在は手放していますが小さなコニャックの蒸溜所をもっており、この二つの蒸溜所の運営に携わっていました。その他にサプライヤーと交渉したり、日本からの出張者をアテンドするなどの仕事をしておりました。

ベン・ネヴィス時代の佐久間さん(出典:ご本人)

ーー
ロンドンいいですね。現地で印象に残っているエピソードなどはありますか?

佐久間:
印象に残っているエピソードみたいなことは残念ながらないですね。
仕事ばかりしていたので(笑)

ロンドンのあとは本社の原料部に戻って8年ほど勤務しました。私の経歴ではこの原料部が1番長いですね。17、8年ほど担当しました。その後、栃木工場で2年間工場長をして、ブレンダー室にうつりました。

ブレンダー室長兼チーフブレンダーとして、かれこれ10年ほどですね。その後、1、2年前くらいのちょうど60になったタイミングで定年退職をして、顧問として現在はシニアチーフブレンダーという肩書きで今に至ります。

ーー
原料部で経験が長いという話でしたが、チーフブレンダーは通常どのようなルートでなることが多いんですか?

佐久間:
特に決まったルートはないですね。
現在では、ブレンダー室に私を含めた6人がいるのですが、経歴も勤務した工場もさまざまです。ブレンダーを経験したあとに異動することもあります。

正直なところ、たまたまブレンダー室にいるという要素が強いんですよね。ブレンダー室にきてからテイスティングの訓練をはじめるというのが通常の流れになります。 

ーー
なるほど。偶然の要素が強いんですね。
例えば、現在ブレンダーを志している人がいたらアドバイスできることはありますか?

佐久間:
アドバイスって言われると難しいですね(笑)
偶然が重なった要素がかなり強いので。強いて言うとしたら、官能検査(香りや味)に興味があること。それでいて、どのようにしたらこんな味ができるのか、といった探究心みたいなところはキーとなりますね。

あとは食品関係の会社に入ることが入り口としては手っ取り早いですよね。

ーー
なりたくてもなれない職種ということですね(笑)
それでは質問を少し変えて、ブレンダーになる人たちの中で通ずるもの、共通点のようなものはあるんでしょうか。

佐久間:
やっぱり、ブレンダーの役割って商品の味を一定に保つことや新しい香りや味を追求していくことですので、
『もっと美味しいウイスキーをつくりたいという想い、こだわり、気持ちの強さ』はみなさん共通して持っているなと感じます。

2. ノンピートモルトを取り入れるまで

ーー
それではブラックニッカ クリアの開発エピソードについてもお聞きできますか?
ブラックニッカ クリアといえばノンピート[1]ということで、ノンピートを導入した背景と社内からの反対意見など開発までのお話をお聞きしてもいいですか?

佐久間:
はい。昔、ニッカではピーテッドモルトしか使っていませんでした。
というのは、通常ビールに使われるノンピートのモルトは当時、関税がかけられていたんですね。

もともと関税割当といってウイスキーなどの酒類のメーカーは輸入する麦芽に関税をかけずに輸入できるのですが、かつては「ノンピート」は関税割当があってても3%関税がかかったんです。食用への転用が可能だからという理由でした。ピーテッドモルトはまあ煙臭いので一定の基準をクリアしたものであれば無税で輸入できたんです。

Figure 2 ピートの山 出典:whisky.com

それに加えて、スコットランドでもほとんどの蒸溜所が「ウイスキーにつかうモルトはピーテッドだ」と公言していたことも相まって、ずっとピーテッドが使われていたんです。

しかし、そのノンピートモルトにかかる関税が撤廃されたのと、ニッカは当時「オールモルト」(現在終売)というウイスキーを開発していたのですが、ニッカウヰスキー独自のカフェモルトをモルト原酒とブレンドする「オールモルト製法」でつくられたモルト100%ウイスキーでした。

そこでは連続式蒸溜機を使って蒸溜したものを使用していたのですが、それだったらピートをかけない分安価なノンピートがいいよねってことでノンピートのモルトを買い始めたのが最初のきっかけでした。

ーー
なるほど。関税などの問題もあったんですね。

佐久間:
はい。しかも、ちょうどその頃ニッカがベン・ネヴィスを買収した(1989年)ので、当時原料調達担当をしていた私が現地のスコットランドに行く機会があったんですが、実際に現地で話を聞いてみると、スコットランドでは当時すでに大量のノンピートモルトが使われていたんです。

スコッチウイスキーのなかでノンピートのモルトを使用することはタブーに近かったのですが、
実際にはお客様の嗜好のライト化などをうけて、ノンピートでお酒をたくさん仕込んでいたことがわかったんです。

これを受けてわたしは「やっぱりな」と。

ずっとピーテッドモルト“だけ”に頼った原酒づくりに疑問を抱いていたので、私が原料担当だったこともあり、ポットスチル原酒の原料としてノンピートモルトをほぼ独断で買おうと決めました。

ほぼ独断だったのですが、当時ブレンダー室長の佐藤茂生さんや上司には相談して「じゃあやってみようよ」となり、ノンピートの麦芽を使ってのモルトウイスキーづくりが始まったのが1991年くらいのときですかね。

しかし初めは「麦っぽい」とか「穀物感が強い」といった理由で、評判はよくなかったんです。


[1] ノンピートとは:ピーテッドモルトのようにピート(泥炭)を麦芽を乾燥させる際の熱源としてふんだんに使用したモルトとは対義でピートを一切使用していない麦芽を指す。

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