今回は、来年2024年に創業90周年を迎えるニッカウヰスキーでチーフブレンダーを務める、尾崎裕美氏にインタビューをさせていただきました。幼少期や学生時代のお話から、90周年に向けた現在の取組まで幅広くお話を伺いました。ぜひご覧ください!
幼少期と学生時代~お酒に出会うまで~
ーー本日はよろしくお願いいたします!まずは、幼少期から学生時代のお話を伺いたいと思っております。尾崎さんは、ご出身はどちらなのですか?
一応、大阪出身と言っています。生まれは母の実家の埼玉県の浦和市です。幼少期は京都で過ごし、小5で大阪に引っ越して小中高の卒業は大阪でした。その後もずっと実家は大阪だったので、出身は大阪といつも言っています。
ーー大阪のどのあたりだったのですか?
サントリーさんの山崎蒸溜所からすぐ近くの、高槻市というところです。
ーーそうなのですね!小学校の頃は、どういったことをされていましたか?
大阪に引っ越してきて、小学校6年生から高校1年生まではサッカーをやっていました。中学サッカー部は結構強くて全国大会にも行きました。と言っても私はほとんど控えメンバーでしたけどね。
ーー高校はずっと大阪で、大学はどちらに行かれたのですか?
広島大学にいきました。
ーー大阪から広島に!結構転々とされていたんですね。大学ではどのような勉強をされていたんですか?
「発酵工学科」というところで勉強していました。工学部に発酵工学科がある大学が、広島大学といくつか限られたところしかなかったので、その発酵工学科に行こうと思い、大学は広島を選びました。
ただ、「発酵」工学科といってもウイスキーとかお酒づくりとかをメインにやっているわけではないのです。いわゆる分子生物学とか、当時流行っていた遺伝子工学とか、そういったことをやっているところです。
ーー大学生になり、二十歳になってから、お酒はずっと飲まれていたんですか?
そうですね。大学に入ったらコンパとかいろいろありますから、飲んではいました。でも、もともとそんなにお酒が強いほうではなかったので、体質的にすぐ真っ赤になっていましたね(笑)。
ーーそうだったのですね。昔からウイスキーがお好きだったんですか?
いや、特にウイスキーが好きだったわけではないですね。普通に飲みに行った時にはビール、日本酒を飲むことが多かったですね。そして、二軒目からはウイスキーやブランデーを飲んでいました。
広島に行ってからは九州出身の友達も増えたので、焼酎も飲むようになりましたね。
ーー尾崎さんは学部新卒でニッカウヰスキーさんに入社されたんですか?
マスター(修士)を出てから入社しました。だから、広島には合計6年間いたことになりますね。
私が通っていた当時、広島大学は移転をしているところでした。いわゆる「教養」の1年半の間は広島市内に住んでいたんですけれども、その後は東広島市の西条というところにいました。日本酒で有名な西条ですね。まさに竹鶴政孝の故郷である竹原の北西部にあります。その西条に大学が移転したので、そこに4年半(学部2年生の後期から修士卒業まで)いました。
ーー西条という地で、影響を受けたことはありますか?
尾崎西条って日本酒の酒どころで、結構有名な銘柄があるところなんです。たまたまうちの研究室は西条の酒造組合と昔からの付き合いがあり、大学祭の時には、組合から22升タダで提供してもらって、日本酒研究会として日本酒を振る舞うようなこともありました。
ーー22升はすごい量ですね(笑)。
そうですね。当時西条の酒造組合には10社11銘柄あり、それぞれ2本ずつもらって、振る舞っていました。だから、日本酒にも多少は関わっていましたね。授業とか大学とかとは関係なく、遊びというかイベントでの関わりでしたが。
ーー楽しそうですね。そもそも、尾崎さんはどうして発酵工学に興味をお持ちだったのでしょうか?
それは、高校時代の生物の授業ですね。その時の先生の授業が結構面白くて、生物学というものに興味を持ったので、大学では発酵工学に行こうと思いました。
ーーなるほど、高校の授業ですか。それから大学を経て「御社を志望されるようになったきっかけ」や「ウイスキーづくりに携わりたいと思ったきっかけ」のような出来事があったのですか?
大学では「酵母」を使った研究をしていたので、酵母やそういう微生物を使った仕事がいいなと思っていました。求人も製薬会社、食品会社、化学会社…そういうところから多く来ていましたね。その中から選んでいくことになるのですが、1つ上の先輩にニッカウヰスキーに入った先輩がいたので、入社する前に電話をしていろいろとお話を聞きました。それも、ニッカウヰスキーに入社を決めた1つの理由だったかもしれないです。
あと、そんなにお酒が強くなくても大学時代はやはり結構飲む機会もあるので、だんだん自分でも飲むようになりました。研究室に入ると、毎日実験して、家に帰ってくるのが夜の10時とかになります。それぐらいの時間から、ちょっと1杯飲んで寝るという日々が続いていました。そんな中、当時の大学の先生が結構バーボン好きだったものですから、その影響もあって「バーボンなんかもちょっと味わってみようかな」というところから、ウイスキーも多少飲むようになって、興味も持ち出した感じでしたね。
ーーそういった影響があったということは、最初はバーボンがお好きだったのですか?
先生がバーボンを飲んでいたので、バーボンにも興味を持ちましたが、その他国産ウイスキーやスコッチなんかも飲んでいました。でも、今思えば当時はバーボンとスコッチの違いもわかっていなかったような気がします。
ーーお酒にあまり強くなかったというお話でしたが、今も仕事以外ではあまり飲まれないのですか?
今は週に2日ぐらい休肝日をとるようにしているんですけれども、会社に入ってから30年ぐらい…割と最近までは、 ほぼ毎日飲んでいました。
ーーそうだったのですね。やはり、ウイスキーを飲まれていたのですか?
いえいえ、ビールを飲んだり、焼酎を飲んだり、 ワインも飲みます。幅広く楽しんでいます。
ーーちなみに今1番好きなウイスキーはなんですか?
今、家で普通に飲んでるのはスーパーニッカです。まあ、その時その時によって違いますね。フロム・ザ・バレルを飲む時もあるし、ブラックスペシャルを飲むこともあります。
まとめ
前編はここまで。「発酵工学科」で勉強をされていた学生時代のお話や、ウイスキーを味わうようになった頃のお話を中心に伺いました。後編は、尾崎さんがニッカウヰスキーに入社されてから今までのお話を幅広く収録しております。後編記事もぜひお楽しみください(^^)/
主に20代のウイスキーが大好きな若手で構成される編集部です。さまざまな蒸溜所、つくり手、ファンの方々との交流をもとに、これからのウイスキー業界を盛り上げる活動を続けていきます。Twitterも発信中。フォローは以下のアイコンをクリック!
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