北大卒のブレンダーが学生時代から今までの軌跡を語る。~第11回 CELLARR SALONを終えて(前編/第2編)

月に1回、ウイスキーそのものやウイスキーにまつわるストーリーが好きな方々が集い、ここでしか聞けない話を愉しむウイスキーのオンライン社交場 CELLARR SALON。

今回は、第11回を迎えた本イベントのレポート記事を全2編にてお届けいたします。

第11回のゲストは、キリンビール株式会社マスターブレンダーの田中城太さん(登壇予定だった元・ニッカウヰスキー株式会社チーフブレンダーの佐久間正さんは急遽私情により不参加)です。

今回のゲスト対談テーマは、「北大卒のブレンダー 学生時代から今までの軌跡とは」

大学時代の思い出や、キリン入社後のウイスキーづくりまで、幅広くトークをしていただきました。

それではレポート記事から、今回のイベントの雰囲気をお愉しみください。

|本日のゲスト

田中 城太

1988年 キリンビール㈱入社。
1989年 ナパバレーのワイナリー駐在後、カリフォルニア大学デービス校大学院修士課程を修了。1995年に帰国し、ワインの商品開発業務を担当。その後、キリン・シーグラム㈱ 御殿場工場での商品開発や本社 マーケティング部で輸入ワインのブランドマネージャー業務に従事。
2002年 キリンビール社が買収したフォアローゼス社へ異動。ケンタッキー州のフォアローゼス蒸溜所にてバーボンの製造及び商品開発全般に携わる。
2009年 帰国し、キリンビール商品開発研究所でブレンダー業務従事。
2010年 チーフブレンダー就任、2017年 マスターブレンダー就任。
ウイスキー業界の国際的アワード「アイコンズ・オブ・ウイスキー2017」において、「マスターディスティラー/マスターブレンダー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。
2019年 米国のバーボン業界における功績を認められ、日本人として唯一、ケンタッキーバーボン協会の会員組織 の栄誉ある”The Order of the Writ”創立時メンバーとして迎えられた。2022年、世界的ウイスキー専門誌「ウイスキーマガジン」認定の「Hall of Fame」を受賞し「ウイスキー殿堂入り」を果たした。

|ゲストトーク①北大の思い出

ーーー本日もよろしくお願いいたします!今回は学生時代のお話から遡って伺いたいと思います。北大卒のブレンダーということですが、北海道大学に行ってよかったなと思う一番の思い出はありますか?

樹木の緑に囲まれた芝生のキャンパスで過ごせたことです。授業以外は芝生でゴロゴロと寝そべって友人たちと会話を楽しんだり、ジンギスカンのバーベキューをしたりしましたね。学生寮もキャンパス内にありましたので、大学時代のかなりの時間をキャンパスで過ごしていました。
大学の中に原生林があって、その中に学生寮がありました。水芭蕉は咲いているし、朝にカッコウの鳴き声で目が覚めた時は感激しましたね。とにかく自然の中で過ごした印象です。

ーーー(北大出身の参加者様)ジンギスカンといえば「中央ローン」ですね。

懐かしいですね。大学の正門を入って真正面に見えるのが「中央ローン」と言って、すごく素敵な小川が流れている芝生広場です。わたしが最初に「大学はここに行きたい」と思ったのが、その中央ローンに一目ぼれしたときでした。
芝生と楡(ニレ)の木の緑に囲まれたそんな場所で、天気の良い日はいろんな学部やクラブ活動の学生が七輪を持ってきてジンギスカンを焼いて食べていました。安くてたくさん食べられるので、お金のない学生からすればソウルフード的な存在でしたね。

北海道大学中央ローンの様子(いいね!Hokudai 北海道大学の魅力を発信するウェブマガジン「キャンパスの移ろい~中央ローンの今は~」より引用:最終閲覧年月日:2023年6月10日)

ーーー城太さんは、大学時代はどんなことを考えて、どんな想いを持っていらっしゃったのですか?

自分にとっては、クラーク博士の“Boys be ambitious!*が生き方の根幹に据えているくらい大きなものですね。

*クラーク博士は、明治9年7月、北海道開拓使長官黒田清隆に、将来の北海道開拓の指導者を養成するため「札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭として招かれました。1期生16名に、動物、植物学のほか、キリスト教の教えによる道徳を英語で教えるなど、大きな影響を与えました。来道してわずか8カ月余の札幌滞在でしたが、翌年明治10年4月16日、クラーク博士は教え子たちと島松(北広島市)で、馬上から、有名なことば「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」と別れのことばを叫んだ、と伝えられ、まさに北海道開拓精神を代表することばとして、後世に伝えられていきました。

さっぽろ羊ヶ丘展望台ホームページ 「クラーク博士について」より引用)

勉強しながらも、バイクで北海道一周したり牧場のアルバイトをしたり、いろいろなことをしました。スポーツは剣道部に入っていましたし、普通の大学生でした。

ーーー(参加者様より)大学時代に飲んでいたのはウイスキーでなくビールかワインがメインだったのではありませんか?

大学時代にウイスキーのような高いものは飲めませんから、安く手に入る焼酎を先輩たちと飲んでいましたね。今思えば、あれはお酒というより、エチルアルコールでしたね(笑)。

|ゲストトーク②思い出に残る特別なウイスキー

ーーー城太さんとウイスキーの出会いのキッカケとなったウイスキーは「フォアローゼズ」だったと伺いました。他に城太さんの中で特別思い出に残るウイスキーにはどんなものがありますか?

最初、ウイスキーの味もわからない人間が、大学時代にブランドとして意識して飲んだのがフォアローゼズのイエローラベルでした。そこから「バーボンっておいしいな」と思って、友人とビーフジャーキーを食べながらフォアローゼズとワイルドターキー、この二つを飲んでいましたね。
そして、自分で初めて買ったのがフォアローゼズでした。まさか後々、そのフォアローゼズ蒸溜所に仕事で行けるチャンスがあるなんて想像だにしていませんでしたけれど…。
 
日本でブレンダーになってウイスキーづくりに携わっていましたけれど、学生時代にファンになったブランド、フォアローゼズの味をつくる”肝の部分”をケンタッキー州のフォアローゼズ蒸溜所で任せてもらったっていうのは、やりがい以外の何物でもなかったですね。自分が学生時代に出会って好きになったもの、その中味の責任者としてやっていく。これからも忘れることのない、思い出深い出来事でした。
 
自分たちのつくっているものに誇りをもって情熱を傾けることの大切さやウイスキーづくりの「楽しさ」・「やりがい」をフォアローゼズ蒸溜所で体験しましたこれらのことの大切さ・素晴らしさを、富士御殿場蒸溜所でも若い人たちに伝えています。
 
「楽しさ」「やりがい」、そして自分たちの仕事に対しての「プライド」はとても重要なことですし、やはりそういうものを持った人たちと一緒にウイスキーをつくっていきたいです。フォアローゼズ蒸溜所で過ごした時間は、私にとってのウイスキーづくりの原点であり、モデルのひとつとして大きなものでした。

ーーーフォアローゼズにはすごく深いご縁があるんですね。アメリカと日本ではものづくりという視点でも違いが出てくると思うのですが、アメリカで学ばれている中で「日本とはここが違うな」と思ったところはありますか?

日本だから海外だから云々というのではなく、皆それぞれの良さがあります。皆さんそれぞれの想いを持ってつくっているから、それぞれに魅力があるのですよね。
水に関しても「硬水がいいから… 」「 軟水がいいから…」ではなくて、それぞれの環境の中で、どのようなこだわりをもってどのようにつくっているか、がポイントです。
 
原料や水の品質の良さ、つくり方のこだわりを皆さんそれぞれに説明しますけれども、その良さを、自分たちがしっかりとreason whyを持ってお客さんに説明できてお客様に納得していただければ、それが「おいしいもの」なんですよね。嗜好品だから。

我々は、自分たちで自信をもって説明できますし、なぜそこにこだわりをもっているのかというのはちゃんと説明します

田中さん(左上)とフォアローゼズ蒸溜所社員のみなさま (出典:ご本人)

ーーー「こだわりを持っている」っていうのは、やはりつくり手の皆さんの中で一貫していることかなと思います。特にジャパニーズウイスキー業界を牽引されてきた方には、共通していることだと思います。少しフォアローゼズの話に戻ってもいいでしょうか?アメリカのフォアローゼズで「これは絶対、富士御殿場蒸溜所でも導入したいな」と思うところはありましたか?

フォアローゼズ蒸溜所のように、あれだけ広大な土地の自然に恵まれた環境に熟成庫が並んでいるのを見ると、「もう少し熟成庫を建てる場所が周りにほしいな」と思います。富士山の麓には、悲しいかな、そんなに広大な土地はもう手に入らないので無いものねだりですけどね。
 
富士山の麓の環境で、もう少し熟成庫を建てて、お客さんに我々のウイスキーをもっとお届けしたいという想いはあります。

まとめ

前半の記事はここまで。

後半では、城太さんのキャリアの中で印象に残っているウイスキーづくりや、飲み手の参加者が気になる質問に城太さんが直々にお答えする時間です。ぜひ後半もご覧ください。

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