アメリカを放浪!?キリン マスターブレンダー 田中城太の生い立ちを探る。【前編/全2回】

メイン画像出所:Drinx

今回のつくり手インタビューはキリンビール株式会社にてマスターブレンダーを務める田中城太さんをお招きし、彼自身の生い立ちやブレンダーになられるまでのストーリーを通じて、キリンのウイスキーづくりの魅力をお伝えしていきます。

世界でも注目されるキリンのウイスキーは一体どのようなヒトによってつくられているのか。貴重なインタビューをお楽しみください。


ウイスキーとの出会い

――本日はどうぞよろしくお願いします!日本を代表するブレンダーの一人である、田中さんとのお話をすることを大変楽しみにしておりました!

田中さん(以下敬称略):

どうぞよろしくお願いします。遠慮なく「城太」と呼んでください。
みなさんからそう呼ばれていますので(笑)。

――かしこまりました!それでは、早速ですが城太さんの生い立ちからウイスキーに出会うまでのストーリーをお伺いしてもよろしいでしょうか?

田中:

先ずは生まれ育ったのは京都の酒どころ、伏見。家の向かいが日本酒の造り酒屋でしたので、遊び場が酒蔵でした(笑)。毎年冬には酒粕が近所に配られ、食卓には粕汁料理が並びましたし、高校生の時には、課題研究と称して麹室での作業を見せて貰ったりして、お酒はずっと身近にありました。

その後、北海道大学へ入学したのですが、キャンパス内にある恵迪寮というバンカラで名を馳せていた男子学生寮に入寮して、お酒類との衝撃的な出会いをしました。四夜連続の新入寮生歓迎会や寮内のそこかしこで開催される宴会では、ほとんど味のない甲類焼酎をなみなみと、どんぶりに注がれて飲まされたのです(汗)。

その後ちょっとグレードアップして一升瓶の山葡萄酒。これがワインとの出会いで、徐々にその他のいろいろなお酒と出会ってゆきました。

ウイスキーとの本格的な出会いはバーボンの「フォアローゼズ」でした。大学の地元、札幌で当時流行っていたカフェバー業態でフォアローゼズが定番で置いてあることが多く、そのことがキッカケで友人との飲み会でもフォアローゼズを買って飲むようになりました。

当時は味なんてわからず、バーボンを飲んでいる自分がカッコいいなと思って飲んでいるだけでした。まさか、将来そのバーボンづくりに携わることになるとは考えてもみなかったです。

フォアローゼズのバーボン (出典:KIRIN公式サイト)
田中:

余談になってしまうのですが、当時私の住んでいた恵迪寮では毎年、真冬に素っ裸に赤褌(ふんどし)で寮の2階の窓から外の雪山に飛び込んで、その時のパフォーマンスを近隣の女子大学の学生が採点するというイベントがありました(笑)。私たちが最後の寮生だったので大変思い出深い経験として残っています(恵迪寮は解体され、北海道開拓の村にて移築された建物が見られます)。

参考までに赤フンでの「大ジャンプ大会(現代版)」という行事(リンクは現代版)をご紹介します (笑)。

―― とても面白いお話をありがとうございます(笑)。
素の城太さんをご紹介したいので、こちらの内容も出来る限り使わせて頂きます!

北大といえば、先日インタビューさせて頂いたニッカウヰスキーの佐久間シニアチーフブレンダーも同大学出身だったと思うのですが、面識はございましたか?

田中:

そう、それがですね、私もつい4、5年前に知ったのですが、佐久間さんとは同じ大学というだけでなく、農学部農芸化学科のそれも同じ研究室出身だったのです。

私が入学したときに佐久間さんが卒業するという入れ違いだったので面識はありませんでしたが。

―― すごい偶然ですね。ウイスキー業界の縁を感じます。

クラーク博士に憧れ、アメリカへ

―― 大学時代は何か志すものはあったのですか?

田中:

新渡戸稲造の「我、太平洋の橋とならん」は立派だなと思っていましたが、最初は特に志というほどのものはありませんでした。ただ、意味もなく噛んでも噛んでも味わいが出続けるスルメのようなヒトでありたいと思っていました(笑)。特に将来やりたいと思うことがない中で、父親から「将来は食糧問題が重要になる」と言われていました。ウイスキーづくりに携わることになるとは思ってもいませんでしたね。

―― スルメとは独特な表現ですね(笑)。
お父様のアドバイスが城太さんの人生に大きな影響を及ぼしたのでしょうか?

田中:

そうかもしれませんね。それとは関係なく、中学生時代に“Boys be ambitious!”というクラーク博士の言葉を知って、勉強机に白いマーカーで書いて発奮したりもしていました。“Boys be ambitious!”はそれ以来の私の座右の銘となっています。

クラーク博士像(出典:Tenki.jp)

―― その言葉が城太さんの根源に在るんですね。なぜ北大に行こうと決めたのですか?

田中:

高校生になって父親から手渡された科学雑誌で、北大農学部の代替エネルギー(ユーカリ油の活用)研究の記事を読んだのです。

これはもう少し知りたいなと思い、高校2年の夏休みに北大を見学するために、旅行がてらフェリーに乗って舞鶴から小樽までの32時間の船旅をして行ったのです。

大学に着いた際に事務局受付で、記事を読んで来ましたと言ったら、その先生に会わせてくれて、先生本人が研究室を案内してくれたんです。それに感動して。

まあ、何よりも北大で一番感動したのは、“キャンパスの木々と芝生の緑の美しさ”でした。それに一目ぼれでしたね(笑)。それがきっかけで、もうこれは北大しかない!と心に決めました。

――32時間の船旅ってすごいですね (笑)。卒業後はどういった道のりを歩んできたんですか。

田中:

“Boys be ambitious!”のクラーク博士の出身であるアメリカにずっと憧れていて、大学院1年生の夏にバックパッキングで2週間、グレイハウンドバスでアメリカ横断一人旅をしました。

西海岸のロサンゼルスからスタートし、サンフランシスコ、バークレー、ユタ州ソルトレイクシティ、コロラドのロッキー山脈、ウィスコンシン、シカゴ、デラウェア、ワシントンDC、ニューヨーク、ボストン等を訪れ、いろんな人との出会いや体験をしました。

グレイハウンドルートマップ

私にとってこのアメリカ一人旅が生まれて初めての海外経験だったのですが、視野が広がると共に価値観が変わるきっかけとなりましたね。

その中でもユタ州ソルトレイクシティ(以下:SLC)では、あるおじいさんとの出会いがとても貴重な体験となり、大きな影響を受けました。

SLCといえば、モルモン教徒がカモメに助けられる有名な話があるのですが、中学生の時に英語教材「New Horizon」でその物語を習ったんですね。丁度その物語を習った後に、京都の自宅近くでモルモン教徒の若い男性二人組に出会って英会話を習い始めたのです。それがきっかけで、SLCはずっと訪れてみたい場所となりました。

それでSLCを訪れたのですが、市内観光のためにバス停で路線バスを待っていると、おじいさんから「どこから来たんだ?」と話しかけられたのです。

日本から来たことを伝えると、
「日本からはるばる来たのか!じゃあ案内してあげよう!」と車で一日中、市内を案内してくれたんです。危ないヒトだったらアウトでしたよね(笑)。

グレイハウンドバス (出典:wheretheroadforks.com)

そして、市内の名所をあちらこちら案内してくれた後に、郊外の山林の中にあるおじいさんの豪邸に案内されたんです。ゲートを通り抜けた後にも林の中に長い道路が続き、敷地内には川が流れていて、大きなお屋敷の横にはクルーザー船が横付けされていました。これは異次元の世界だな、とビックリしました。

後からわかったのですが、そのおじいさんは、プライベートバンクの創業者で、悠々自適のリタイヤ生活を送っていたのです。偶然の出会いとは言え、面白いご縁だったなあと思います。

日本に帰国したその半年後に今度はそのおじいさんが北海道に遊びに来たんです。そのときに「また、アメリカに遊びに来い」と誘われたので、お金がないと断ったら、アメリカへの渡航費を僕の銀行口座に振り込んでくれました(笑)。

こういった経験が重なって、将来はアメリカに住んでみたい、働きたいという希望が湧いてきて、次第に「食に関わる仕事を海外でしたい」と思うようになっていったのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。アメリカへの想いが昔から強かった城太さんの経験は他のつくり手とはまた違うものがありました。

後半ではキリン入社後のエピソードや、ウイスキー業界への想いなどをお伺いします。
引き続きお楽しみください。



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