今回は、9月16日に開催された第15回のレポート記事を全2編にてお届けいたします。
第15回のテーマは「注目の蒸溜所の所長らが語る、10年先の”ウイスキーの未来”」。
今回はつくり手の中でも蒸溜所長という仕事に注目し、新興蒸溜所で所長を務めるお二方をゲストにお迎えしました。
ウイスキーづくりのお話に限らず、蒸溜所長という立場ならではの視点でのマネジメントなど、ひとつの「ビジネス」「企業」としてのお話も伺うことのできる時間となりました。
ウイスキーそのものやウイスキーにまつわるストーリーが好きな方々が集い、ここでしか聞けない話を愉しむウイスキーのオンライン社交場 CELLARR SALON。本日もお愉しみください。
|今回のゲスト
本坊酒造株式会社 津貫蒸溜所 所長
折田 浩之 氏(以下敬称略)
経歴
1985年本坊酒造入社後、宮崎県での営業から始まり、福岡支店長、関東支店長などを経て2015年に経営企画本部、2016年に津貫蒸溜所の立ち上げに従事。2018年、信州蒸溜所所長に就任し、2020年からは信州蒸溜所リニューアル担当。2022年に津貫蒸溜所所長に就任し、今に至る。
日本ソムリエ協会認定ソムリエ本人コメント
私は技術者ではありません。入社以来、主に営業や企画畑を歩んできました。しかしながら、多くのウイスキーイベントへの参加や、蒸溜所立ち上げに携わった事から、たくさんのウイスキーを愛する方と知り合うことが出来ました(技術者、酒販店、バーテンダー、愛好家の方など)。今後はこれまでの経験を活かして、技術だけでなく、マーケットなどの視点も含めて、少しでも多くの方にウイスキーの楽しさを伝えられたらと思っています。その為にも大切なことは真面目に美味しいウイスキー造りをやっていく事に尽きると考えています。
十山株式会社 井川(※読み方:いかわ)蒸溜所 所長
瀬戸 泰栄 氏(以下敬称略)
経歴
2005年特種製紙(株)(現特種東海製紙)に入社後、品質保証部の分析チームに配属された。2018年南アルプス事業部に異動し、2020年南アルプス事業部が十山(株)として分社化、井川蒸溜所の初代所長に就任し、今に至る。
本人コメント
2020年に蒸溜所が立ち上がり、はや3年が経とうとしています。異業種からの新規参入組として、手探りながらも良い酒を作るという志をもって製造にあたってきました。山の恵みを皆でシェアするという考え方の基、素敵なウイスキーを作っていきたいと思います。立ち上げ準備からこれまで、本当にいろいろな方たちにお世話になりました。今回ご一緒させていただく折田所長には、信州での修業時代に公私ともによくして頂いた間柄です。昔話も含め、今回の対談で何が飛び出すか。楽しみにしてます。
|はじめに~ゲスト同士のご縁のきっかけ~
ーーー今宵も、皆さんご参加ありがとうございます。お手持ちのウイスキーを飲みながら、夜の時間を共に過ごせたらと思います。よろしくお願いします。
今日のゲストは、大企業型の新規事業で新たにウイスキー事業を始められた十山株式会社 井川蒸溜所の瀬戸所長と、本坊酒造 津貫蒸溜所の折田所長でございます。
まずは瀬戸さんから、簡単な自己紹介と、今日に至る折田さんとのご縁をお話いただければ幸いです。
井川蒸溜所の瀬戸と申します。
折田さんとは、私の修行先の所長さん・師匠、そういった形でご縁がありました。今から5年前から4年前にかけて、マルスの信州で修行をさせていただきまして、その時に所長さんとしていらしたのが折田さんだったのです。
折田さんには割と、”つくりを教わる”というよりは、信州で仲良くしていただいたという側面が大きくて。ご自宅に招いていただき、初めての鳥刺しをご馳走してもらったり、奥様が手料理を振る舞ってくださったり、ゴルフに誘ってもらったりしていました。1打差、2打差で必ず負けるんですよね。長野で私がゴルフをするために欠かせない人でしたね(笑)。
ーーーありがとうございます。あの、幸先好調みたいな感じになっていますけれども(笑)、今日はゴルフのイベントではなくウイスキーのイベントですので、その辺はよろしくお願いします(笑)。ちなみに、ご縁があったのは2018年ということでしょうか。
2018年の夏から1年間お世話になりました。
最後の方で津貫に1ヶ月程行かせてもらったんですよ。11か月駒ケ岳、1か月津貫で、全部で1年お世話になったというわけです。
ーーー折田さんが両方見ておられたのでしょうか?
2018年のことだから、折田さんは信州にいらっしゃいましたね。
ーーーなるほど。瀬戸所長は、本坊酒造さんで修行させていただいたという特別なご縁があって今日に至るのですね。では続きまして折田さん、簡単なご挨拶をお願いします。
よろしくお願いします。本坊酒造の折田です。
今、瀬戸さんのお話もありましたけども、当時は「なぜ紙の会社の人がウイスキーをつくりに来たのだろう」と本当にびっくりしましたし、そもそも「あの山奥によく蒸溜所をつくるな」というすごい驚きを持ってお迎えしたことをよく覚えています。
私の自己紹介としては、今、津貫の蒸溜所の所長を勤めております。本坊酒造に入社してもう38年目になります。元々はずっと営業を担当していて、それから企画をはじめとするいろいろな仕事をしてきましたが、最終的に今は津貫にいます。
1985年にマルス信州蒸溜所ができて、1992年に蒸溜の休止に追いやられて、19年間は蒸溜を休止していたのですが、2011年に再開しました。その少し前頃から、スコッチ文化研究所(現・ウイスキー文化研究所)さん主催のものをはじめとする、いろいろなウイスキーのイベントが始まっていました。ちょうど営業で東京にいましたのでそういったイベントに結構行くようになりました。また、営業でも洋酒の担当をしていたので、イベントに出ることも多くなりました。
そうして、いろいろな業界の方…ウイスキーをつくる方だったり、販売の方だったり、バーテンダーの方だったりと知り合いになって、どんどんウイスキーの仕事のウエイトが高まっていきました。
その間、信州が2011年に再開してから、ウイスキーの売上はだんだんと大きくなってきました。そして2016年に、「創業の地である鹿児島の津貫にウイスキー蒸溜所を構える」ということで、そのプロジェクトチームに丁度入らせてもらえたのです。当時は、津貫蒸溜所のプラントや、そのBARやショップの運営に携わりました。それが終わったら今度は山梨で「マルス穂坂ワイナリー」の立ち上げに携わり、その後、マルス信州蒸溜所のリニューアルが始まったので2020年のオープンに向けて信州の所長として赴任しました。
より深くウイスキーのほうに入っていって、それが一段落して鹿児島に帰ってきたら、次はマルス津貫蒸溜所の所長だったというのが、簡単な私の流れですね。
ーーーありがとうございます。ゲストの方から自己紹介をいただいたところで、一度乾杯をさせてください。本日も、本当にウイスキーが好きな人たちがオンラインで飲みながら語らう場をつくっていけたらと思います。では、楽しんでいきましょう。乾杯。
|紙の会社がウイスキー事業へ 新規事業づくりにおける考え方
ーーー早速ですが、キーポイントである「新規でウイスキー事業に入る」というところで、瀬戸さんにお聞きしたいことがあります。
瀬戸さんが研修に来られた際、折田さんが「なぜ紙の会社の人がウイスキーをつくりに来たのだろう、と思った」なんてお話がありましたが、確かにその理由が気になってしまって。なぜ紙の会社が、新規事業としてウイスキーを始められたのでしょうか。
紙の原料って「木」ですよね。
木って、昔は今ほど高くないし気軽に採れるものでした。当時、そこで森林資源と水資源を活かして木箱や製紙の事業構想をしたのが始まりです。
運搬にしても今と違って、トラック等を使わなくても、大井川という川へ丸太をポイポイっと放り込むと自然に丸太が下流の町まで流れてきていました。それを下流でピックアップして、乾かして、製材して、「材木を作る会社」とそのおがくずみたいなものを使って「紙を作る会社」がありました。そういった感じで、「紙会社」と「山」というのがまずセットで存在していました。
それからしばらくはその体制で良かったのですが、昭和のある時期に大きな台風が来て、 製材する場所がみんな流れてしまったのです。加えて、外国から安い材木が山ほど入ってくるようになって、 木を切る手入れをしなくなってしまい、紙屋として”山を持つ必然性”みたいなものが結構薄れていた時期が長く続いたのです。大体、昭和57年ぐらいからその先というのは、山は持っていたけれど、そこを保持・保存して観光に多少充てるぐらいの感じで。「木」を資源として生かせなかった時代が長かったのです。
それで「どうにかせにゃならんよね」となっていたのですが、こんな広大な土地をひとつの塊として持っている会社というのはあまりなく、日本でも多分唯一くらいなのです。せっかくならなんとかこの山を活かせないかと、いろいろな事業を検討していたのですが、人里とも相当離れているし、鹿や猿しか住んでいないようなところだし、 やれることは限られていました。
「もう自然をそのまんま活かしていくしかないよね」という発想の下、元々は水を売るという話もあったのです。しかし、やはり水もローリーで汲んで下ろすには結構なお金がかかりますので、単価的にも厳しいものがある、 もう少し付加価値をつけなきゃいけないという話になりました。
そんな中で「だったら山の中で酒つくったろや!」という話になって(笑)。お酒をつくって、”この山で採れた山の恵みをシェアしましょう”という事業としてウイスキー事業が始まりました。
ーーー特種東海製紙という母体の会社が、新規事業を本気で議論した結果、ウイスキーに入ってくることになったのですね。
ちなみに瀬戸さん、紙の会社に入ったと思いきや今はウイスキーの仕事をしているって、なかなか仰天の人生だと思いますが…!ウイスキーにまつわるご自身のエピソードがあれば、ひとつお聞かせいただいていいですか。
元々酒飲みなんですよね。ウイスキーに限らず、いろいろなものを飲んでいました。
大学時代は九州まで買い付けに行くほどの焼酎好きでした。ある時期からウイスキーもいいよねと飲み始めたのですが、マニアというほど別に詳しくはないですよ。
紙屋からウイスキーへ、という流れになったのは僕が科学分析官だったところが結構大きいのかなと思っています。
弊社は元々が大きな工場なので、”理屈を持って、狙った品質のところへと落とし込んでいこう”という気質が強いのです。”ある程度、化学的なベースで説明したり、理解しながらつくっていくべき”。そして、”作業員は全員同じような動きができるべき”。そんな風潮があります。
そういうこともあって、ウイスキー事業を始めるにあたり「ある程度科学的な知識があって、お酒づくりの理屈がわかること」と「お酒が好きなこと」という2つの条件を満たしている人間が社内にいないかと探していたところ、 どうやら見つかっちゃったみたいで。そういうわけで山の中に来ました(笑)。
ーーーいい出会いですね。
社内で転職したようなイメージですね。
新しい事業をやるというのは、 そうそう機会ないですよね。
ーーーすごいですね。今日は大企業に属されている方にもご参加いただいていますけれども、事例として、この新規事業の切り口のお話はすごく勉強になるのではないでしょうか。 瀬戸さん、お話いただきありがとうございます。
一方で、折田さん。本坊酒造さんは、基本的には研修等を行っていない中、瀬戸さんを受け入れておられたのですよね。一緒に時間を過ごした中で、瀬戸さんを見ていて思ったこと等、ここでぶっちゃけて話していただいてもよろしいでしょうか?
怖い(笑)。
初めて来られた時に、お酒好きということや科学分析のほうをされていたことなど、今のような話はお伺いしていました。でも、見た感じは、そんな繊細そうに見えなくて(笑)。
結構豪快な感じで、すごく人懐っこいというか…。年齢に関しては、確かうちのスタッフよりも瀬戸さんのほうが上だったのですが、 すごく丁寧な物腰で入ってこられて、いろいろなことを吸収しようという気持ちがすごくよく伝わってきました。
もちろん会社の大きな任務を背負ってやって来られていたので、弊社の若いスタッフにとってもすごく刺激になりました。年上として、若いスタッフに社会人としての心構えを教えてくださることもあって、そういう面でもとても助かりました。
弊社での経験が、事業のスムーズな立ち上げに繋がったのなら、よかったと思います。特種東海製紙さんは、結構長い時間でウイスキーを見てくれているようで、元々かなりの長熟でリリースしたいという話を聞いていました。そこも含めて懐が深いというか、いいウイスキーをつくれるのではないかなと最初からとても期待していましたよ。
ーーーありがとうございます。今日は井川蒸溜所からもう1名、道野さん(※以下敬称略)という方にお越しいただいております。
瀬戸さんとある意味バディでありながら、特種東海製紙という会社の視点で新規事業をつくっていらっしゃいます。山、紙、森林っていうような切り口で、瀬戸さんのお話の補足があればお願いします。
こんばんは。 井川蒸溜所の道野と申します。
私は今、地上から通信していますが(笑)瀬戸は山の中の椹島というところにいます。昨日は私も山にいて、山登りをしていました。
私は、仕事の半分が井川蒸溜所の仕事でして、販売・企画・広報の部分を担っています。あとは、山の仕事の新規事業…将来の構想とか観光事業とか、そんなこともしております。私自身、製造のことはあまり詳しくないのですが、大元である「山と蒸溜所の関わり方」「私たちがどうあるべきか」というところは、瀬戸さんに嫌がられるぐらい結構口うるさく言っていますね(笑)。
なぜ製紙業の会社がウイスキー事業を始めたか、というところをもう少し補足させていただきます。130年前に山を取得したのですが、私たちが初めてその山に入って最初に基地にしたところはすごく美味しい湧き水が出るところで、そこが私たちの水源地になりました。それから、林業をやったり林業が衰退してきたら観光業をやったりして、そんな中でウイスキービジネスを始めていきました。
その時「ウイスキーをつくる前に水を売ることができないか」「この南アルプスのおいしい水を皆さんにお届けできないか」ということを、十数年前に検討していました。結果的には難しいという判断が下ったのですけれども、その水の何が良いかというと「おいしい」且つ「大腸菌が出ない」というところなのですよね。
大腸菌というのは、湧き水では結構普通に出る菌なのです。私たちの水源地は大腸菌が出ないので、そこの水をミネラルウォーターとして売り出すことを計画しました。
日本のミネラルウォーターは殺菌しなければならないという法律があるのですが、国際基準のミネラルウォーターには殺菌していないものが多いのです。その国際基準に則ったミネラルウォーター販売を、日本で初めてできないかと考えていたのです。
しかしフィジビリティスタディをした結果、ミネラルウォーター市場はかなり飽和していて、何よりも輸送コストが大変で、その計画は頓挫しました。
ただ「この素晴らしい水に何か価値を乗せていけないか」「単価が安いなら、もっと価値を凝縮できないか」と、当時このプロジェクトを推進していた親玉がいろいろ考えてくれました。そんな中で「熟成環境としても、うちはウイスキーに向いているのではないか」「ウイスキーの樽に丁度良い木材がたくさんあるのではないか」ということで、ウイスキー事業を始めることを決断しました。そんな流れがありました、という補足でした。
ーーーありがとうございます。溢れる想いが伝わってきましたね。
前編記事はここまで。
後編記事では、いよいよ酒質のこだわりやハウスポリシー等、蒸溜所の根幹に関わる話も登場します。
ぜひ後編もご覧ください。
ここから先は、会員限定公開となっておりログインが必要です。
無料のフリー会員登録でご覧いただけますので、登録がまだの方はぜひご登録をお願いします。
主に20代のウイスキーが大好きな若手で構成される編集部です。さまざまな蒸溜所、つくり手、ファンの方々との交流をもとに、これからのウイスキー業界を盛り上げる活動を続けていきます。Twitterも発信中。フォローは以下のアイコンをクリック!
記事のご感想やご意見など、コメントにて頂けるととても励みになります^^/
コメント